H24.12.13 赤穂大石神社 ホーム
▲赤穂大石神社
兵庫県赤穂市にある赤穂大石神社 は、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とする。
元禄赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工した。1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森氏の祖先の七武将(森蘭丸ら)を合祀した。

赤穂 義士にまつわる史跡等のhtml版

大石神社 の大鳥居から本殿方向に向けた左右には四十七士の石像が並ぶ
▲義士祭の前夜祭となる日だけに平日の大石神社とは,様子がちがいます。
大石神社 へ団体観光のみなさんの参拝記念写真の撮影場所
▲赤穂城史跡として整備中かまだ新しい建物の様です。

▲赤穂城史跡として整備中かまだ新しい印象の城壁。

幕府の許可が下りず天守閣が築造されなかった天守台、赤穂にはもともと天守閣がなかったそうです。

▲史跡大石良雄 宅址

浅野赤穂藩の家老、大石家二代の屋敷の長屋門で、屋敷は畳数にして308畳の広大な邸宅でした。浅野内匠頭の刃傷事件の際、その知らせを持って早かごで駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が実際にたたいたのもこの門です。享保14年(1729)、建物の大半が火災に遭いましたが、長屋門だけが焼失をまぬがれ、その後建て替え等を経て数少ない江戸時代建築として現在も場内に残っています。
▲赤穂城跡の隅櫓

義士たちの眠る花岳寺の門前

初代藩主・浅野長直が浅野家の菩提寺として建てた寺で、長直の両親の法名をとって名づけられました。浅野家、永井家、森家の菩提寺としても知られています。入り口の門は旧赤穂城の西惣門で、明治6年に花岳寺に移されました。赤穂市では平成元年に史跡に指定しており、元禄以前の建物として、そのままの姿で現在も赤穂に残る貴重な建物です。門をくぐると目の前に大石内蔵助が母の冥福を祈って植えた美しい松、本堂横には浅野内匠頭を中心に義士たちの墓が並ぶ墓所があり、ここには遺髪が納められていると伝えられています。墓所の入り口には大石内蔵助の屋敷から移し植えた「忠義桜」があり、散り際の美しさを桜に例えるように毎年見事な花を咲かせています。赤穂藩と義士ゆかりの品々が保存されている『宝物館』や『義士木像堂』など見所も数多くあります。
花岳寺本堂前の灯篭
花岳寺の門前の南の広場では、住民ボランテアの炊き出しや振る舞いが行われていました。

▲赤穂大石神社

花岳寺から大石神社へ帰ってくるとすっかり日が暮れ帰る準備を始めた。
赤穂市の市民のお年寄りに、お話を聞くと「義士祭」は「ああ大石さん」を見にきたのと呼んでいました。

▲国史跡赤穂城跡内では電照のお城やお堀端をライトアップ

神社の駐車場を出るとき気が付いたライトアップ

▲大石神社の境内のお食事どころのポスター

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