カメラと散歩 スーソン               
H27.1.17 震災から20年 阪神淡路大震災1.17のつどいホーム

▲神戸市三宮東遊園地:慰霊と復興のモニュメント 20th 1:17 KOBE

戦後70年、阪神淡路大震災から20年、人それぞれ忘れえぬ体験や悲しみ、苦しみがあり、子供のころに災害は忘れたころにやってくるとよく聞かされたものである。
阪神淡路大震災でこのMARINA像が倒壊した 写真と説明がある。
▲黄色の紙に願いが書き込まれている。
▲灯篭と積み上げた雪と静かにたたずむ人・・・
阪神淡路大震災1.17のつどいに協力いただいた団体名簿等 ・・
私が戦時中、在籍した神戸市西灘小学校の名前を見つけ70年前の戦時中の出来事にも思いを巡らせた。
▲沢山の竹筒に蝋燭の灯り
▲皇后様の御歌の碑がこの公園にあります。
慰霊と復興のつどいを中継する報道の車両も多い。
震災後に大きなビルや整備されたビルも多い。

▲神戸市JR三宮 駅前、この交差点で戦中、戦後、震災で人それぞれさまざまな思い出がある。

戦後70年
戦後70年、阪神淡路大震災から20年、人それぞれ忘れえぬ体験や悲しみ、苦しみがあり、子供のころに災害は忘れたころにやってくるとよく 母から聞かされたものである。
70年前の戦時中、神戸空襲で阪神電車の地下鉄の駅に逃げ込んで爆撃が止み地上にでて見たときの光景は、見渡すかぎり焼け野が原、足元で歩道に座り込んだご婦人が泣く子をおんぶして座っている。私が泣く子に駆け寄ったが父に制止された。ご婦人は焼夷弾の直撃を受けすでに死んでいた。以降「ルミナリエ」に来るたびにこの光景を思い出します。
当時私は、神戸市西灘小学校の2年生だった。戦時中の小学校の名称は「国民小学校」です。
震災後20年
最初に神戸に入ったのは、姫路から宝塚経由で六甲トンネルを通り市内に入りました。
道路が陥没している現場や今にも倒壊するのでかないかと思われるビルを見て愕然としました。
行方のわからない方の確認をボランティア活動としてはじめてしました。
壊れたパソコンの復元にパソコンの部品やソフトをメーカから提供していただき感激したのもこの時でした。
戦火に倒れ、震災でお亡くなりになった方々の御冥福を祈りつつ夕闇迫る神戸から帰路につ きました。
撮影にあたり今も悲しみが癒えることのないご遺族に配慮して撮影いたしました。

平成27年1月17日

GX7ホーム