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H28.11.12 丹波五ヶ寺紅葉めぐり  達身寺ホーム

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丹波五ヶ寺めぐり|高源寺円通寺岩瀧寺達身寺高山寺

達身寺の前進は、よく分かっていないが、社伝によると、織田信長の丹波平定の命を受けて明智光秀が、丹波攻めをし、篠山城や保月城などが攻められた。達身寺は当時、僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院であったと言い伝えられている。その僧兵が保月城に加勢したと言うことで保月城を落とすまでに焼かれたと言われている。寺を焼かれる前に、仏像を守ろうと僧侶達が谷へ運び下ろした。仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられている。元禄8年(1695)この村に疫病がはやり、多くの人々が亡くなった為に、占い師に占ってもらった結果、「三宝を犯した仏罰である」と言われ、村人達は山に登り放置された仏像を集めて、破損していた達身堂をこの地に下ろし、修復し、仏像を安置し奉った。 達身寺の仏像は木彫仏であって、大半が一木造りである。寄木造りも多く作られたはずだが、長い間放置された為、寄木では仏像の姿で今の世に残る事が出来ず、破片化してしまった。又、一寺に一躯奉ればよいと言われている、兜跋毘沙門天が十六躯もあると言う事と、本尊仏が多い事、未完成の仏像が多い事、仏像のお腹が膨らんでいる事などが挙げられている。

丹波市観光協会パンフ「愛しませ丹波」より

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