歴史探訪−宿場町平福を訪ねて
城下町から宿場町への変遷
平福は、池田氏の時代に城下町として造成され、慶長15年には、ほぼ現在の道路、屋敷地が完成されていたと言われています。平福は、池田氏の時代に城下町として造成され、慶長15年には、ほぼ現在の道路、屋敷地が完成されていたと言われています。川端風景、小魚が群れる川縁の遊歩道
中世は別所氏支配、近世初期は池田氏が支配
播磨の豪族赤松氏「赤松円心」は白旗城(現上郡町)の北方の守りを固める為、赤松の流れを汲む「別所五郎衛門敦範」を佐用の郡(ごうり)へ派遣した敦範は付近の山々や地の利、要路である事も考え、貞和五年(1349)利神山に砦を築いた、敦範は利神山麓に構(かまえ)と館を築き居住したと言う。(対岸の平地が跡地)。
代官支配の本陣跡大きな堤燈を下げるやぐら
慶長五年(1600)関が原の東西決戦後、輝政は中国、四国、九州の大名を抑える為、「西国将軍」として播磨を領し乗込んできた。輝政は甥の「池田出羽守由之」をして、佐用郡を支配させた、由之は利神山の砦跡に城郭を築き城下町を作った、山頂に残る石垣を見れば在し日の城の規模が偲ばれる。しかし、この城は余り陽の目を見ることなく解体の憂き目に遭った。利神城は山岳城で三層の天守を備え天に聳える豪壮な城であった。輝政は一目見るなり即解体を厳命した、「徳川家に輝政謀反の疑いあり」「露」ほどの疑いを掛けられるのを恐れた為と言われている。
川に面して、さまざまな形をした土蔵や納屋が並んでいるが、共通しているのは、護岸を兼ねる背丈ほどの高さの石垣を土台にして建てられていることである。石垣のところどころに、川岸へ通じる出入り口や石段が設けられており、家の中から建物の床下を通って川へ抜けられる構造になっているところもある。
デジタルCMと比較してなかなかの面白味がある。分厚い板に文字は、金箔浮かし彫りの突き出し看板。
一枚板の看板、(たつの醤油)営業中
◆みどころと主な施設など
◆宿場町「平福」(ひらふく)
◆平福の町並み
◆利神城跡
◆平福陣屋門
◆金倉の六地蔵
◆宮本武蔵決闘の場
◆平福本陣跡
◆平福郷土館
◆しゃくなげの里
◆智頭急行平福駅・因幡街道平福市
◆道の駅「宿場町ひらふ
利神城跡、往時を偲ぶ貴重な文化遺産
宮本武蔵決闘の場
五輪の書の一節の碑がある。
13歳のとき初めて勝負した地がこの金倉川原。
何人たりとも望みしだいお手合わせ致すべし、我こそ天下無敵の兵法者。
佐用町役場内
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▼星の都−さよう
平福へのアクセス 車の場合・・・・
中国自動車道、佐用インターから、大原・鳥取方面へ向かって約2.2Km。姫路・龍野方面からは、太子竜野バイパス福田ランプから国道179号線で佐用町方面へ進み、上町交差点で右折、国道372号線を大原方面へ。
太子竜野バイパス福田ランプから約34Km(40分)
列車の場合・・・・
智頭急行「平福駅」下車、駅前の橋を渡ればすぐです。平福には普通列車のみが停車します。
JR姫新線で佐用まで行き、佐用で智頭急行線に乗り換えるか、JR山陽線上郡駅で智頭急行乗り換えの方法があります。連絡の良さ、所要時間の点では、上郡乗り換えが便利です。所要時間の目安は、姫路からだいたい1時間20分前後です。